株式会社伊藤建築設計事務所

アーカイブ| 40年の歩みとこれから

伊藤建築設計事務所 代表取締役社長
森口雅文

伊藤建築設計事務所は今年12月1日に創立40周年を迎えます。創業した1967(昭和42)年は、東京都知事選挙戦で初めて環境や公害が選挙の一大争点になった年で、1960年代に始まった高度経済成長時代は、新潟水俣病をはじめとして、富山のイタイイタイ病や四日市ぜんそくと、日本中がまさに公害列島と化した時期でした。環境の世紀を迎え、いまだにその過去を引きずっている現実に、私たちの職能の環境に果たす役割と責任の重大さを認識すると共に、40年という年月の重さを感じます。
このたび、創立40周年の記念特集号として、事務所の40年の歩みと最近10年の主たる建築作品の発表の機会を得ました。これもひとえに多くの建築主のご支援、建築関係者のご協力と、建築画報社のご好意によるものと、本誌を借りて厚く御礼申し上げます。
伊藤建築設計事務所は、建築家 伊藤鑛一(1900~1987)により1967(昭和42)年12月1日に、小縣好市(1911~1999)、島田幸信(1916~)、鋤納忠治(現:取締役相談役)、織田愈史(現:代表取締役会長)、高木淳一郎(現:参与)、森口雅文(現:代表取締役社長)、渡辺誠一(現:技術顧問・椙山女学園大学教授、生活科学部長)、山田光左句(1930~1970)、近藤員章(1911~1996)の9人の協同者により創業しました。全員日建設計工務株式会社(現:株式会社日建設計)の出身者で、伊藤鑛一は1958(昭和33)年から1965(昭和40)年までの約7年間同社の取締役社長を務めました。事務所は、中部財界のご支援を得て、株式会社東海銀行(現:株式会社三菱東京UFJ銀行)、株式会社松坂屋、中部電力株式会社、名古屋鉄道株式会社、東邦瓦斯株式会社(現:東邦ガス株式会社)(以上、名古屋財界の五摂家)を主要株主として、名古屋(名古屋市中区錦3丁目3番6号日本經済新聞ビル)に開設され、翌年の1968年には東京(東京都千代田区神田小川町1-11平岡ビル)に東京事務所が開設されました。
 専業の建築設計事務所であることは言うまでもありませんが、地方にあっても全国に発信する建築設計事務所を標榜し、小なりとも総合建築設計事務所としての陣容を整えました。創業時の経歴書の巻頭には当時の社団法人日本建築家協会の憲章を掲げ、建築家の責任、建築主に対する職責、業務報酬、施工業者に対する職責、建築家相互の責任、協同者に対する職責、社会に対する職責について建築設計事務所としての姿勢を表明しています。
創業以来の英文呼称「Ito Architects & Engineers Inc.」にも明らかなように、関連の専門技術を統括し、己の哲学に従って統合し、すべての責任を負う「建築家(Architect)」と、構造、設備、積算、監理、都市計画などの専門の「技術者(Engineer)」が、プロジェクトごとにチームを編成し設計監理に当たる、専門技術者とそれを統括する責任者によるチームプレーは現在も守られています。昨今の「建築士制度」や、「建築設計者の資格制度」の議論には、いまさらの感を禁じえません。
現在の役職員数は71名を数え、それぞれ、本社(名古屋)、名古屋事務所、東京事務所のいずれかに所属していますが、プロジェクトの最適なチーム編成にはその所属に関わりなく対応しています。構造、設備、積算、監理といった専門技術部門は、本社で統括し技術の集積と責任を明らかにしています。また、両事務所の代表者(管理建築士)は、伝統的に代表取締役がその任に当たり、事務所としての責任の所在を明確にしています。
この40年の間には、1,200件の建築物の「新築(増築を含む)」の設計監理と、600件に及ぶ「改修」の設計監理を実施いたしました。創業の地、名古屋が建築を大切にする土地柄もあったのでしょう、事務所では設計監理した作品を永く使っていただくための設計と竣工後の建物の運営管理の支援を大事にしてまいりました。事務所を開設して10年目ぐらいの1970年代後半には改修が始まりました。当初は外壁のリニューアルや設備の更新に始まり、改修の目的は主に機能回復、バリアフリー化、OA化対応でしたが、阪神淡路大震災後はそれに耐震のための改修を実施しています。常に建築を社会環境やライフスタイルの変化に合わせて機能向上や用途変更が可能なように考えてまいりました。
 一方、建築設計事務所の業務の一環として、AM(アセット・マネジメント)、PM(プロパティ・マネジメント)、FM(ファシリティ・マネジメント)、CM(コンストラクション・マネジメント)などの建設にかかわるマネジメント業務にも1980年代の比較的早い時期から着目し、取り組んでまいりました。最近はそれぞれの分野での専門化と専門資格化が進んでいる傾向ですが、事務所では専門家の協力のもとに、主体的にその業務を展開し、診断、調査、鑑定を含め「コンサルタント業務」として600件の経験を積んでいます。一部の業務は20年以上の長期にわたっています。しかしながら基本となる本業の建築の設計監理を第一とする考え方は堅持してまいりました。
事務所にはこれまで社是はもとより社訓、設計指針に至るまで文字になった決まりごとは一切持ちあわせていませんでした。社会の仕組みが激変する中で、専門家としての役割も変革を迫られています。創業40周年にあたり、敢えて基本姿勢を確認するため、私たち役職員の心に受け継がれてきた事柄を次のように認めました。
「建築」は、建築主(クライアント)の存在から始まります。はじめに建築主があり、私たち建築家は建築主のために生まれた職能です。ちょうど患者にとっての医師、依頼者と弁護士の関係と同じです。建築の主役は建築主で、私たち建築家は建築の設計監理の専門家としてそのよき協力者であり支援者であるべきです。建築主と建築家はそれぞれの役割を踏まえて建築のためにお互いに敬意を払うべき間柄でありたいものです。
「建築」は、安全、快適、持続可能で、なおかつ何時までも美しくあらねばなりません。環境や景観に対しても同じ考えで取り組まねばなりません。
「建築」は、たとえそれが個人のものであっても、すべて社会資産でありその存在は社会的なもので、地域規模での思考が求められています。
「建築」は、都市と共に次の世代を育むものでなくてはなりません。
「建築のデザイン」は、形や色彩といった狭義なものと考えられがちですが、技術と経済に裏付けられた広義のものでなくてはなりません。
最後に、建築家は自らの職能としてこれらのことを啓蒙し、実践する責任を負っています。
以上が伊藤建築設計事務所の基本姿勢であり、これまで40年の永きにわたり数多くの建築主から深いご理解と信頼を寄せていただいていることがその証と考えます。これらは常に役職員の心の中に受け継がれてきた姿勢で、これからも事務所の健全な存続をかけて語り受け継がれることを期待します。